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宝塚市 いまい内科クリニック
今井 信行

 開業医の息子として、生まれたから、いつかは開業医になるものだと思っていました。
 いささか昔話ではありますが、17年前に父が急逝したために、私は急遽大学卒業3年目にして、父の後を継いで、この同じ土地で開業することになりました。卒業して間もない時期に、いきなり開業医として地域医療の一線に立つことになったあの日々は、ひとつひとつを覚えているわけではありませんが、若かっただけに一日一日の経験が体に染みこんで、文字どうり現在の私の基盤を造っているように思います。
 金沢大学の医学部を昭和56年に卒業した私は、父の薦めもあって、当時大阪大学に新設された、第四内科(現加齢医学講座)に大学院生として入局することになりました。その後、半年ほどの研修を経て、筑波大学に内地留学していました。父が死んだのはその内地留学を終えて、大阪大学に戻ってきたすぐ後でした。ばたばたと事態はすすみ、芝居の幕が早変わりするように展開し、私は父の後を継いで開業することになりました。 都合一年半にわたって開業医をしましたが、いろいろあって一度医院を閉じることにしました。臨床を勉強し直したかったからです。卒業後大学院に行ったものですから、臨床を充分に勉強する時間がなく、一度じっくり勉強したいと思っていました。
 ちょうどその時縁をいただいて、関西労災病院という地域の中核病院に勤めることになりました。昭和63年からですから、12年間勤めたことになります。

 この間のいきさつは、当時関西労災病院の内科部長をされていた北岡先生という方の導きで労災病院に就職することになりました。北岡先生は腎臓病を専門にされ、関西労災病院に人工透析室を創られました。その透析室が拡充になるからと、医員の増員が適い、それを機に私が労災病院に就職することになりました。そのような次第で労災病院に就職してからは、腎臓病診療、透析室勤務で仕事が始まりました。
 尿に蛋白が降りていたり、腎炎が疑われる患者さんに腎生検といって、腎臓の組織を一部採取して診断をつけること、またそのような方を外来で経過観察することなどからはじまりました。
 北岡先生は、腎臓病だけでなく膠原病なかでも全身性エリテマトーデスという腎障害をおこしやすい膠原病を専門にされていましたので、私たちも膠原病の患者さんを診察する機会が多くありました。全身性エリテマトーデスは症状も多彩で、またいろいろと工夫することで患者さんの状態が良くなることも多くて興味をもちました。
 当時、一緒に仕事をしていた先輩に岡田先生という方がおられました。まじめな人で、また臨床病理学というか形態学に興味をもたれていました。腎臓病だけでなく膠原病、血液病などにも造詣が深く、マルチな活躍をされていました。彼と一緒に顕微鏡を覗く世界はコスミックで、臨床と病理の接点を渡り歩く楽しい経験でした。
 平成6年に、その岡田先生が退職されることになりました。私はその後を受け、腎臓病、膠原病から血液疾患へと診療の範囲を進めました。膠原病とか、血液疾患が私にとって面白く感じられたのは、体の全身を診療するからだと思います。膠原病は皮膚などに変化が出やすいですから、皮膚科医と相談する機会も多かったですし、整形外科医などとも話し合う機会は多かったです。この経験が後にリウマチ外来ということになりました。整形外科医と内科医が一緒になって、リウマチ患者さんを診察する機会を造ろうということで、診察室を並べて、一人の患者さんを囲んだ診療スタイルが始まりました。
 血液疾患に関しては、平成9年頃でしたか、当時の臨床血液学会では末梢血幹細胞移植術というものが注目されていました。透析で覚えた体外循環の知識を利用して、血液中の幹細胞を集めます。この細胞を凍結保存しておいて、大量化学療法後の骨髄の快復を助ける治療です。平成9年から11年頃はこのような治療を成功させることに努力していました。
 同時に平成6年頃から、腎不全患者の食事療法に興味をもちました。これには一人の腎不全患者との出会いも大きかったですが、一年ごとに腎不全関連の治療食食品が、各社から商業ベースで発売されるのを見て、豊富になってきた食材をみて、今後とも食事にまつわる問題は大切な問題となるだろうと思いました。退職間際に労災病院の栄養科と相談して、治療食として低蛋白米を給食に取り入れるようにしたのが、私の関西労災病院でした最後の仕事かも知れません。
 平成12年になって、自分の年齢やこれからの人生を考えた時、父の残した診療所をこのまま放置するわけにもいかないということもあり、いろいろ思いを巡らした結果、再び開業することに致しました。

開業に当たっては、
1) いままで専門にしてきた分野をこれからも続けたいと思いました。専門をもつことは自分にとって、学会の進歩なりに追いつくべく、いつまでも勉強を続けるであろうし、その方が自分も進歩できると思いました。専門性を強調すると狭い分野と捉えがちですが、専門はまたその領域のなかで広がりがあり、尽きるところはありません。専門を通じて視野を広くもつことは矛盾することではないと思いました。専門医としての自覚の元に、幅広く患者さんを診察したいと思っています。   
2) 高齢化社会を迎え、医療と福祉がより歩みよる時代がくることと思うので、社会勉強もかねてケアマネージャーの資格も取りました。これから行政などとも話し合って、広い意味での地域医療を考えていきたいと思っています。
3) いろいろ難しい時代ではありますが、折角、医師という仕事を得たわけですから、仕事を通して地域医療に貢献したいと思うのです。 開業を志す医師が誰しもが掲げる気持ちかも知れませんが、私もこの初心を忘れずに、ありたいと思っています。

 私の先輩が、開業に当たっては「理念が必要だ」とおっしゃいました。理念てなんだろうと考えました。理想でもなく、理念とは広辞苑によると、物事や計画を起こすに当たり、根底にある根本的な考え方とあります。 大それたことを、願うわけではないのですが、 「仕事を通して社会に貢献したいと思うし、仕事を通して自分を高めたいとも思います。」  
 一人で始める開業としては、法外なほどに大きな目標を掲げてしまいました。 こんなに風呂敷を広げて、大丈夫なのかと自分でも不安になることもあります。 でも、病院で同じ世代の患者さんが、心ならずも病に倒れる姿を見て、一度きりの人生であるし、やれるときにやれるだけのことをやってみようと思う気持ちの方が、今のところ勝りました。 とにもかくにも、行けるところまで行ってみようと思っています。現在のところ、それ以上の言葉が思いつかず、あえて理念はと問われれば、2000年10月のこの開院の時期に、心に思い浮かぶのは以上のような思いです。

                (2000年10月、開院にあたって思うこと。)

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〒665-0021 宝塚市中州2丁目1-28 TEL 0797-76-5177