できごと徒然
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No.0020 できごと徒然(20)   花 二 題
 

花一題
 3月はじめ、例によって京都に出かけました。今日は、伏見です。
一度訪れたいと思いながら、かなわずにいました。
伏見は、むかし伏水とよばれたとか、豊かな伏流水が名水を生み、酒どころとして栄えたことは、周知のとおり。
伏見は穏やかで、やはり水に恵まれていること、酒作りという文化が浸透しているためか、街に”ゆとり”が感じられました。

月桂冠記念館で酒作りの工程をみて、緻密な日本酒の製造過程に感嘆したあと、竜馬通りと名づけられた商店街を抜けて、あの竜馬が定宿にしたという寺田屋を訪れました。
寺田屋は、いまも宿泊できる現役の宿です。内部には、竜馬ゆかりの品が所狭しに並べてありました。
中には竜馬直筆の掛け軸などもあり、竜馬が単なる行動家ではなく、文人の素養をもった人物であったことを知りました。

寺田屋境内に竜馬の銅像を見かけましたが、背景に梅の花が咲き、梅のもつ清々しい雰囲気が、竜馬のイメージに重なりました。(写真1)。
しかし、竜馬という、小説よりも不思議な人物の存在が、日本の歴史を大きく変えたことは、不思議と言うしかありません。

それから御香宮神社で、日本百名水に数えられる清水を口に含みました。確かにまろやかでした。

ついで、京都市内に戻り、壬生へ。
壬生の駐屯所なる史跡、すなわち新撰組が居城にした駐屯所を訪れました。
入り口にはボランテイアのガイドの方が居られて、この壬生の駐屯所で、新撰組の仲間割れ、すなわち狼藉を働いた 芹沢鴨らが殺害された模様を説明して頂きました。
実際に、足もとに踏みしめるこの畳の上で、150年前に殺人が行われたと思うと、臨場感もひとしおで、少し背筋が寒くなりました。

幕末、尊皇攘夷の思想が駆け巡ったとき、歴史は面白いけれど分かりにくくなります。それは同じ尊皇攘夷という言葉であっても、時代の荒波のなかで、それぞれに御都合主義的に解釈され、言葉が一人歩きをしたからでしょうか。
尊皇攘夷は入り乱れ、歴史も複雑に、そしてドラマチックに動きます。

花2題
 それから一月もたたず、3月30日。桜も盛りとなりましたので、また京都に出かけました。
今日は、”醍醐の花見”で知られる、醍醐寺です。 確かに見事な桜でした。
ことに三宝院の境内に植えられた、しだれ桜は、さくらの花弁が あたかも滝のように、ほころび流れ落ちる風情は、華やか以上に艶やかで見事の一言でした。(写真2)。
しだれ桜というのは、そもそも最初からこのような桜の品種の一種だったのでしょうか?
あるいは、もし桜という花が、このような姿であればさぞかし美しいであろうという人間の我儘な想いで品種改良を重ねられた産物なのでしょうか?
ことほどさように、私にはしだれ桜というのは、桜の艶やかさを演出する最も適した姿の一つではないかと思えます。

世に醍醐の花見と言うのは、慶長三年三月、秀吉が催した花見のことだそうですが、当時を偲ぶ、花見の幕や、詠まれた和歌など飾ってありました。
秀吉は、この花見を催した後、同年秋、逝去します。

しかし、この醍醐寺もさることながら、遺した大阪城はじめ、まことに秀吉という人は途方もないスケールの持ち主だったことに驚かされます。

その後市内に戻り、国立博物館で開催中の「雪舟」展に行きました。
すごい賑わいで、一時間半行列に並びました。
人垣越えに眺めた、雪舟の水墨画は、霊気漂うもので、 とても人間の絵とは思えませんでした。
天然の色彩以上に、色彩を感じさせる墨絵の世界の不思議さ。
墨絵が不思議なのでしょうか、それともイマジネーションと呼ぶ人間のもつ能力が不思議なのでしょうか?
味わい深い一日でした。

平成14年4月15日 記

No.0019 できごと徒然(19)  TFC のこと
 

TFCと呼ばれる、メーリングリストがあります。
TFCとは、total family careの略だそうですが、広島市の田坂医師が管理されている MLです。
医師、医学生を中心としたメーリングリストですが、実に内容が充実してい ます。

このメーリングリストの大きな特徴は、すべてのメールがこの田坂医師のもとに一度 集められることです。彼は、広い学識と深い見識を発揮して、これらのメールに絶妙の合いの手を加えて、メーリングリストに送信されます。
こうすることで、メーリングリスト上で時に発生する、メールの送信者への直接的な 質問や意見の衝突などの惨事が避けられるわけです。

ウイットに富む彼の合いの手でメールは輝きを増します。また同じような話題のメー ルはまとめて送信されるので、読んでいるものも、ひとつの話題にある程度集中して勉強することができる、極めてレベルの高いメーリングリストです。

私は最近かなりお気に入りで、随分勉強させてもらっています。
すでに日本全国600名あまりの医師が参加し、一部は海外にも及ぶそうです。
そのTFCの大阪でのオフラインミーテイングがあったので梅田まで出かけてきました。
広島や、四国からも参加された先生がいて、28名が集まっていました。

現在、「かかりつけ医」なる言葉が再び脚光を浴びている。「かかりつけ医」、「家庭医」、「プライマリケア医」、「総合診療医」など、呼び名の定義もさまざまと思われるが、要は今までの「開業医」が、担ってきた仕事、「患家にあっては、家族を含めて、疾病の治療だけでなく、健康相談や予防医療なども視野に入れて総合的に包括的に連続的に活動していこうとする仕事」。

専門分化が進む一方で、従来の開業医が担ってきたこのような仕事に、ふたたび価値を与え、体系づけて、いままでの臓器別医学にならんで「家庭医学」や「総合診療」 というジャンルを確立させようと試みの一つであるともいえるかな。

TFCの実際の価値は、このメーリングリストを読むものにしか分からないと思いますが、私は、この田坂さんというactivityの高い医師を一目見ようと参加した次第です。

田坂さんはもうすこしスリムかなと想像していましたが、やさしそうなおじさんでした。しかし早口でエネルギッシュに話す口調は圧倒的でした。早いテンポでドンドン話題が膨らんで、人の話を聞きながら、すべてに短いながら的確なコメントを追加されていくあたり、メーリングリストそのものでした。

いずれにせよ、このようなactivityの高い、見識の高い医師と知り合うことができたのは、やはりラッキーです。そして普段は、インターネットのうえで、メールでしか知らない人たちとやはり直接出会って、顔を見て話をすることはやはり重要なコミュニケーションの方法だと思いました。

デイケアを趣味と感じて実施している医師。禁煙活動に熱心な医師。科学研究費の予算をとることに熱心な医師。音楽療法を試みる医師。行政的な活動に熱心な医師、在宅医療に熱心な医師などなど、、、

多くの先生のコメントを聞いて、いろいろな取り組みをしている医師がおられることを知り、励まされました。 自分もこれから行っていきたい医療、それはやはりTFC的な「家庭医療といったものに近いもの」であろうと、気づいたひと時でした。

ただ私はある程度の専門性を持つことと、家庭医としての立場をとることは矛盾するものではないと考えています。

ひとりの医師の始めたメーリングリストが、日本全国にひろがり600名あまりの医師が参加しているとは、、しかしすごいことです。
しかも毎日何通も送られてくるのですから、毎日ただで学会に参加しているようなものです。まさしくITが可能にした、一つの有用な「あつまり」といえるでしょう。                 

平成14年3月2日 記

No.0018 できごと徒然(18)  時田さんのこと
 

リサナメントと名づけた地域の茶話会を不定期に開いていることは、このできごと徒然でも書き込んできました。
それが年末を迎え、名付け親のお一人のI氏が他界されました。
奥様からI氏も楽しみにしていたので、予定通りリサナメントを開いてくださいとのことでしたので、12月22日の土曜日にクリスマスコンサートを開きました。
もう一人の発起人のY様のお宅を借りてのコンサートでした。

Y様のお知り合いの時田さんを招いてのコンサートでした。
時田さんは声楽家であちこちで演奏会をされています。
時田さんが他の演奏家と異なるのは彼が生まれながらに目が見えないということです。
彼は光というものを知らず、盲学校で点字を習い、音楽を習ったそうです。
彼はバリトンの声域で朗々と歌い上げます。
目が見えないのに、ピアノを弾きながら歌い上げます。
彼の声は野太く、朗々として、聴いているものの心に語りかけます。
彼の歌声に包み込まれ、聴き終えた後、静かな感動とそして元気が沸いてくるような気がしました。

彼があまりに朗々と歌い上げるので、私たちは彼が目が見えないということを忘れてしまうほどです。
でも、コンサートのあとで彼と話をした時に、あるいは彼のグラスにワインをつごう とした時に、まぎれもなく彼は目が見えないことを知り、あらためて驚かされまし た。

目の見えない彼がここまで巧みにピアノを弾き、歌い上げるまでにはどれほどの時間をかけて繰り返し繰り返し練習したのだろうかと。
そして絶えず彼のそばにいて、文字どうり目となり手となり足となって、彼を支えたお母さんの存在。
彼は移動するときには、お母さんの肩に手をのせて移動されます。
お母さんは彼が歌う間、傍らで耳を澄まし、彼の歌声に聞き入り、拍子をとるように体をゆすっておられます。ゆすっているのではなく彼の歌声に聞き入ると自然にそう なってしまうようです。

人間というのは、どうしてこのようなことが可能なのだろうか。
彼自身が言っていた「障害は不便ではあるが、不幸ではない」という言葉。 至言です。

クリスマス。我が家から、本当に道をはさんだ至近の距離の、あるお宅のお部屋で。
濃密な濃密な人生を生きる人の歌声を聞く機会に恵まれるとは。
元気を与えていただいた平成13年のクリスマスでした。                   

平成13年12月22日 記

No.0017 できごと徒然(17)  太田和夫教授との会話
 

13年12月9日、平素御世話になっている神戸の坂井瑠実クリニックが 開院3周年を迎え、同時に法人認証された記念会をしますとのことで、 神戸のポートピアホテルに招かれました。
席上、坂井先生のスピーチは涙ぐまれており、クリニック立ち上げ時のご苦労がしのばれました。
記念講演には、東京女子医大の名誉教授であられる太田和夫先生のお話がありました。 御高名な先生の講演が間近に聞けて有意義でした。

祝賀会は和やかな雰囲気でしたが、患者さんも、スタッフも入り混じって、にぎやかな雰囲気でした。
なかなかこの様に、スタッフと患者さんが和気藹々の雰囲気に終始するのは珍しいと思います。 ひとえに坂井先生のカリスマ性というか、坂井先生の魅力に患者もスタッフも、皆々が魅了されているというところでしょうか?

3次会にも付き合いなさいということで、階上のバーに参りますと先ほどの太田教授とお話する機会がありました。
御高名で大家であられるにもかかわらず、患者さんの立場にたったコメントが印象に残っています。
妙に駄洒落の好きな先生でもありました。
来年の長野の学会に出てきなさいと御招待を受けました。

坂井先生や太田先生とお話していて、次の言葉が思い出されました。
大好きな北海道を訪れた際に、札幌に旧庁舎が残っていますが、そこに掲げられたクラーク博士の絵の中に書き込まれた文章です。
あまりにも有名な ”Boys be ambitious..”で始まる文章の全文です。

Boys be ambitious.
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement.
Not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for that attainment of all that a man ought to be.

この最後の文章の、” a man ought to be ”という言葉が坂井先生や太田先生の姿と重なりました。
私も心を澄まして、ought to be を聞き分けなければ。                       

平成13年12月9日 記

No.0016 できごと徒然(16)  六甲山の紅葉
 

紅葉 毎日、とてもたくさんのできごとが身の回りでおこる。
いずれもわが身の周りに起こったことを書き留めたいとは 思うものの、筆が追いつかない。
難しい話は置いといて、いかに明日の英気を養うか。 今日の日曜日のできごとを記します。

先週の日曜日は、神戸の森林植物園に行って来た。
世界中のもみじが集めてあって、また、公園の中央にある 池の周囲のもみじはたいそう美しかった。そこで今日の日曜日は六甲山へハイキングに行くことにした。残念ながら子供たちの賛同を得なかったので、単独行である。

長い間、京阪神に住みながら、六甲山を歩いて登ったことがなかった。
そこで今日は初めて六甲山に登ることにした。もちろん紅葉を求めて。

10時に阪急芦屋川に着いた。
ここから歩き始める。 駅の売店でお茶と、チョコレートをすこし買い求めた。
芦屋川沿いに、ロックガーデンを目指す。

山芦屋町のあたりは、さすがに豪邸が並ぶ。
でもやはり海が見えて、きれいなところだなと思う。芦屋というだけのことはある。

神戸遠景ロックガーデンの手前には、いくつか茶店があった。
子供連れも多い。数珠繋ぎの混雑振りだ。
登るにつれ、神戸から大阪まで見晴らせる。関西空港も見えた。

しばらく行くと東おたふく山に出る。
ハイカーが、お弁当を広げてくつろいでいた。
東おたふく山を越えると、ハイカーの数がぐっと減った。それでも高年のハイカーも多い。

芦屋カントリーを抜けて、だんだん道が険しくなる。
ハイカーの姿がなくなり、いつのまにか一人になった。
森の中を歩く。ときおり曲がり角から海が見渡せたり、 美しく紅葉した樹木に出会う。

汗が出て、息づかいが荒くなる。
冷えた山の空気が、頬に気持ちよい。
息弾ませながら、一歩一歩上がっていく。
自分の歩いた距離だけ、前に進むのが気持ちよい。
さすがに六甲最高峰を目前にした七曲の坂はきつかった。
太ももの筋肉が、悲鳴をあげだした頃、一軒茶屋に辿り着いた。
すこし小雨が降ってきた。

茶屋で、きつねうどんを食べて、暖まる。 ビールも飲みたいところだが、我慢する。
小雨が降ってきて、もうやめようかなと思ったが、 あとは下りだから、予定どうり、有馬にぬけることにする。

最高峰から、有馬までの道は、魚屋道(ととやみち)とよばれる。
昔の人はこの道を通って、瀬戸内の魚を、有馬に届けたのだろう。
ととやみちは、きれいに整備してあり、快適だ。足取りも軽くなる。

紅葉森の空気を一杯すって、道を進む。
口笛が自然に出てきた。 口笛を吹くなんて、何年ぶりだろう。
3時間かかった登り道も、有馬へは1時間だった。

有馬稲荷の境内に降りた。境内のもみじが美しかった。 瑞宝寺公園も行きたかったが、かんぽの宿で、湯につかることにする。

有馬は現在、元湯が工事中で、金泉にはなかなか入れない。
かんぽの湯に間に合ったので、久しぶりに金泉に入ることにした。
やはり有馬は、赤い湯でないと入った気がしない。
しっかり温まって、のち缶ビールを1本。 ウマイ。

帰りは、阪急バスでうまく座れて、宝塚まで戻ってきた。
快適な一日だった。
山の空気を吸って、リフレッシュに成功。
何枚か紅葉の写真を載せておきます。

平成13年11月18日 記

No.0015 できごと徒然 (15)  まる一年
 

 いまい内科クリニックも開院以来、まる一年が経過しました。
そこで患者さんとの親睦会を計画しました。
場所は神戸のフルーツフラワーパークです。
日頃の精進が悪いのか、昨日までは秋晴れが続いていましたが、今日はあいにくの雨でした。
しかし予定どうり、患者さん10名と、付き添いの方、スタッフ合わせて30名で バスを貸切って、フルーツフラワーパークに向いました。
あいにくの雨でしたが、フルーツフラワーパークの回廊を巡り、温室でいろいろな花を見ました。
なかには車椅子の方もおられましたが、みなそれぞれきれいな花に目を留めました。
花はやはり心和みます。

 そのあと皆で集まってお弁当を食べましたが、薄味でとても美味しかったです。
午後からは自由時間で私は患者さん4人と一緒に温泉に入りました。
1時間も湯船に使って、くだくだとお話しました。温まりました。

 月下美人一年間無我夢中でやってきました。
一番うれしいのは、開院当初から来ていただいている患者さん含め、 お一人も体調を損なうことなく、通院されていることです。
なかには2ヶ月も入院された方や、手術を受けられた方も多いですが、 皆さんお元気で、親睦会に出席していただけたことをなによりうれしく思います。
またスタッフも、全員元気で1年を迎えられたこと、あらためて感謝いたします。

 帰りのバスの中で、世話人の方々から、来年も元気に全員そろって出かけましょうとの声があがりました。
来年はもう少し大きなバスで出かけられますよう、また皆さんの揃った笑顔が見られますように願って。筆をおきます。
記念写真も添えたいところですが、先日我が家で咲いた月下美人を添えておきます。

平成13年9月30日 記

No.0014 できごと徒然 (14)  New War ??
 

 できごと徒然と銘打つ限り、わが身の周りに起こったことを記載しよう。

 この忌まわしい事件も記載しないわけにはいかないだろう。
平成13年9月11日、おそらく人類の歴史上忘れることのできない日となることであろう。
夜のテレビに映し出されたのは、ニューヨークマンハッタンの貿易センタービルに飛行機が突っ込む映像だった。 人類はいまだかつて、これほどの蛮行を経験したであろうか。
こともあろうにニューヨークの摩天楼にハイジャックした旅客機で突っ込むとは。
一瞬にして、アメリカの繁栄の象徴が無残にも崩れ落ちるとは。
あまりにも大胆な、そして象徴的な事件である。
過激な事件に、誰しもが声を失う。イスラム過激派の仕業らしい。

 アメリカは報復攻撃を計画している。  
今日、9月30日現在、まだ戦闘は開始されていない。  
アメリカはアフガニスタンに潜む、テロ指導者ラビン周辺を外交包囲始めている。  
日本の小泉首相も、自衛隊の米軍後方支援を進めるようだ。  

 いつの日か、この事件も歴史の中のひとつの事件として人々の記憶にとどまることだろう。
昔の人間はこんなにもおろかなことをしでかしたのだと、人々は口々にすることだろう。  
おろかであることは誰もが承知している。  
有史以来、人間はおろかなことを繰り返してきてはいる。  
しかし21世紀が幕開け、文明の進んだと思われる現在、人間はどうしてこのような愚行を繰り返すのであろうか?  

誰しもが、人間は小さなこの地球上で、皆助け合い、仲良く共存すべきものである。
戦争は忌むべきものである。繰り返してはならない。  
みんな心からそう願っているはずだ。それがなぜこのような蛮行に及ぶのか。  
彼らを正当化する理由はなんだ。

  いまや世界は固唾を飲んでアメリカの出方を見守っている。  
もはやアメリカとイスラムだけの戦いでは終わらない。  
世界を巻き込む戦いの行方に途方もない不安が横たわっている。  
アメリカの賢明な対応を願う。

なかなか筆が進まず、この重要な事件を記載するのが遅れました。

平成13年9月30日 記

No.0013 できごと徒然 (13)  北海道
 

 今年の夏、長女が13歳を迎え、私が45歳を迎えた日を混じえて、この8月2日から5日まで、家族で北海道旅行をしてきました。 開業して10ヶ月、念願の家族旅行ができました。
実は3年前の夏休みに家族で初めて北海道を旅行しました。 1週間をかけて北海道をグルッと一周したのですが、 子供たちには今でも一番楽しかった家族旅行のようです。 実はそのときの旅行中に私は開業をしようと決めました。 それから3年。それでもいろいろなことがありました。 もう開業できないかもしれないと思ったことも一度や二度ではありません。それが文字通り、いろいろな人の助けを借りることができて、なんとか開院にこぎつけ、そして再び北海道を家族で訪れることが できるようになるなんて感無量です。さまざまな思いを抱いて、千歳空港へ降り立ちました。

連日熱帯夜の続く大阪から、北海道は一転肌寒く、気温は16度。なんと20度の差がありました。まるで別の国に来たようでした。

写真1

今回は、北海道でもトマムリゾートに宿泊の予定です。 トマムまで千歳から140Km、約2時間の予定です。北海道は空気がきれいだし、車が少ないし、渋滞もないので快適です。高速を走り、シムカップ(占冠)を抜けて、トマムへ向かう。 トマム(苫鵡)はアイヌ語で、「大いなる荒野」という意味だそうだが、そのリゾー トの規模はすごい。
だれがこんな田舎も田舎に、このような大規模な建物を造ろうとしたのか? 確かにありきたりの小さな施設では、この辺境の地への集客力はあるまい。とてつもなく大規模にしてはじめて集客力を持ちうるのかもしれない。荒野の中にいくつものホテルが立ち並び、青い光にライトアップされて浮かび上がる のは、さながらSF映画のようだった。

広々したホテルで、家族でたわいもない話をして、時間を過ごす。
プールに入ったり、クラフト教室でジャムをつくったり、ハーブテイをつくったり、散策したりして、あっという間に時間が過ぎていきました。 いい休暇ができました。(写真1)

旅という、日常を離れた時間の過ごし方は、大切だと思う。その間、家族と朝から晩まで時間を過ごす。 日ごとに大きくなっていく子供たちとの共通の思い出作り。 私も子供の頃、両親に連れられて、あちこち旅行に連れて行ってもらった。 子供を通して、人は人生を俯瞰するのかもしれない。

写真2

3日目は、トマムを後にして、北海道の人気スポットのひとつ、富良野へ向かいまし た。写真は上富良野の日の出公園から見たラベンダー畑です。(写真2)
最終日は、旭川まで走り、国際織物博物館で上村六郎博士の染物コレクションを見 て、雪の博物館で、六花とも称される雪の結晶を追い求めた研究者のことを知り、情熱というものが与えるエネルギーを感じました。情熱は人生のスパイスといえるかもしれない。

楽しいひと時が過ごせました。 またいつか家族で北海道へ来てみたいものです。 慌しい旅行でしたが、いま帰宅して、旅行後の体のかるさに驚いています。 しっかり働いて、また旅行に出ようと心する次第です。

平成13年8月12日 記

No.0012 できごと徒然 (12)  透析百科 ?
 

 6月22日から24日まで、大阪国際会議場で日本透析学会が開催されました。
透析学会は医師のみならず、看護婦さんや工学士が参加するために、一万人規模で開催されるマンモス学会です。例年主催者は、会場の確保に悩まれていることだろう。
今年もロイヤルホテルと国際会議場を借りての開催でした。個人的にはもう少し広い会場が望ましいように思いましたが、いろいろな職種の方が集まって、意見交換する学会なるものはやはり新しい知識を仕入れたり、交流の機会をもつなり、有意義な機会だと思いました。
 いろいろな発表がありましたが、ある会場で見つけた「透析百科」なるサイトはとても優れたものだと思いました。 http://202.216.128.227
日本の腎臓病、透析医療のひとつのメッカの、名古屋大学の先生がまとめられたサイトでありますが、透析医療に関する話題がまとめられていました。無料サイトですのでご紹介させていただきます。

平成13年6月29日 記

No.0011

できごと徒然(11) 

 今日は5月の3日。ゴールデンウイークです。 いつも休みの日は家族で行動するのですが、 今日は家の女性軍は娘の学園祭に行くことになりました。 中学生の娘の学園祭に行っても、、さすがになあーと思って、 私は久しぶりに単独行をすることにしました。

 久しぶりに京都にいこうと思いました。「京都の散歩道」という本を見ていますと、 最初の散歩道は、嵯峨野になっていたので、嵯峨野に出かけることにしました。
嵯峨野は紅葉に行くもの、嵯峨野は女性の行くところと思っていましたが、、、 とても美しかったです。

阪急桂で乗り換えて、嵐山まで。 渡月橋をわたり、天龍寺へ、最初に塔中の弘源寺を覗いた。 日本画家竹内栖鳳をめぐる画家たちの作品が多く飾られていた。 どなたの作品かは忘れたが、竹を描いた襖絵に魅入ってしまった。 墨絵の奥深さを感じたひとときだった。
本山の天龍寺は嵐山を借景に取り入れたお庭が見事だった。 つつじが美しかった。

天龍寺の裏を竹林を抜けて、大河内山荘に出向いた。 大河内伝次郎といえば、丹下佐善と私でもかすかに覚えているが、 30年間の映画出演料を注ぎ込むと、こんなものができるのかと、 数寄者という言葉を思い浮かべる。

常寂光寺ついで常寂光寺へ。 見上げる階段を包み込むばかりの楓の新緑に、 仏の思い描いた理想郷もかくやあらんか、と何度も振り返った。 今、帰り着いた自宅で今日の旅を振り返っても、最もこころに残るひとときであっ た。 紅葉の時期もさぞかし美しいことであろう。しかし、新緑もまた一興。 日本の美しさを感じたひとときだった。(写真御覧ください)

さらに、落柿舎で、軒に生けられた一輪の石楠花に目をとめ、 化野念仏寺をめぐり、祇王寺へ出向いた。 祇王という舞の上手な女性の住まったところだそうだが、 ここも瀟洒な庵が、楓の新緑に包まれて、緑の光りにけぶるがごとく、息を呑むたた ずまいであった。

さらに歩いて、清涼寺に向かった。 ちょうど春の特別閲覧で、秘仏が公開されていた。 源の融(わたる)なる、源氏物語の光源氏のモデルとなった人をかたどった 阿弥陀像が公開されていた。 こんなに近くで、国宝を見るのは初めてだ。どっしりとした美しく力強い仏像であっ た。

最後に、大覚寺へ向かった。ここはえらく大きなお寺だったが、 それもそのはずここは嵯峨御所といわれ、御所だったのだ。 歴代の天皇の位牌が飾れれていた。中には昭和天皇のものもあった。 ここを舞台に南北朝当時の執政が行われ、南朝から北朝へと皇位が譲られたようだ。

恥ずかしながら、日本史をあまり知らない。 南北朝って、なんだったっけ。。。 この町には、やはり歴史が込められていることを知り、歴史の勉強がしたくなった。 帰りに駅前の本屋で、日本史を解説した本はないかと 捜し求め、結局、「大学受験用の参考書ー人物で読み解く日本史ー」なるものを買い求 めた。

一日で、嵯峨野を中心に随分歩き回った。 次回は、少し歴史の勉強をして、また京都に出向いてこようと思う次第である。 一言で、今日の感想を述べれば、「京都恐るべし」。 歴史はやはり、先達の生き様であり、人の営みであり、惹きつけられる。        

平成13年5月3日 記

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